第三話 私が悪いの




別れが辛いのは、愛していた証拠
深く悲しむのは、幸せだった証拠



いつかこんな事が書かれていた本を
読んだ事がある。
その時はなんとなく
そうなのかなと思っていたが、
今自分にこれ程この言葉が
胸に突き刺さるなんて‥‥



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「ねえサクラ、彼とは上手くいってるの?」



「そうだね~、ほとんど喧嘩もないし
順調かな」



「二人とも変わり者だもんね~
なかなかお似合いだよ」



「ちょっと!綾!変わり者だけ余計だよ」



「それにしてもサクラと渡辺君が
こんなに続くとはね~、
人ってわからないもんだね」



彼と付き合い始めてから
すでに二年が過ぎていた。
少し変わった所もあるが、
真面目で誠実、知的な部分もあるが、
それでいて子供みたいな所もあって、
いまだにつかみどころがない。
そこがまた私にとっては魅力的だった。



ガンゾの長財布については
彼の父からの入学祝いで貰ったようで、
やはり彼の父親も少なからず
こだわりを持った人のようだった。



父に彼氏ができた事を報告すると、
最初はムッとしていたが、
彼がガンゾの長財布を使っている事、
カクテルが好きな事を言うと、
一度連れてきなさいとなったんだけど、
思いもよらず意気投合してしまい、
私の家に遊びに来る時なんかは、
私といるより父といる時間の方が
多いくらいだ。



でも、これも私の性格なのか、
そんな二人を見守っているのも
なんだか幸せを感じてしまう
自分もいた。



幸せな時はそれが当たり前に感じてしまう、
そしてそれがずっと続くと思ってしまう。



この時は彼との別れが近づいているのを
想像すらしていなかった。



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「サクラ、ちょっと話があるんだが」



「どうしたの?あらたまっちゃって」



「うん、実は父さんな、ニューヨークに
転勤する事になったんだ」



「えっ、ニューヨークに?
私たちはどうなるの?」



「母さんとも話したんだけど、
母さんは一緒に付いてくるって言ってる、
サクラはもう大学生だから、
一緒に行くか、日本に残るか、
自分で決めるといいよ」



あまりにも突然の事に
一瞬何が何だか分からなくなった。
来年は大学も卒業だが、
まだ就職先は決まっていない。



一緒に付いて行って
語学の勉強をしたいという思いもあった。
しかしそうなると彼と別れなければ
いけなくなる事も確かだった。



いずれにしても
簡単に決められる事ではなかった。



彼に相談しようかとも思った。
しかし相談してどうなるというのか?
彼の答えは半ば想像がついていた。
おそらく、私の事を尊重して
行っておいでと言うだろう、
私が語学の勉強をしたいと
思っているのを知っているのもあるし、
きっと帰ってくるまで
待っていると言うに違いない。



きっとそう言ってくれる彼を
いとおしいと思いながらも
それで良いのかと自問する
自分もいる。



しかし私たちはまだ若い。
私のわがままの為に
彼の時間を無駄に過ごして
欲しくはない。



海外での語学勉強が出来る
チャンスはこれが最後だろう。



彼の事は心から愛してる。
だからこそ私は彼と
別れる事を選んだ。



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「海外に行く事にしたの」



彼はとにかく驚いていた、
それも当然だと思う。



彼は海外に行く事は私の為には
良い事だと思うと言ってくれたし、
賛成だとも言ってくれた。



そして私が想像していた通り、
帰ってくるまで待っていると
言ってくれた。



しかし私はあえて別れを切り出した。



私たちはまだ若い事、
まだまだ知らない世界がある事、
彼の時間を大切に使ってほしい事、



もちろん嫌いになったわけではなく、
今回の事でさらに想いは強くなった事、
しかしそれではお互いに良くない事。



彼はだまって聞いていた。



そして最後にはうなずいてくれた。



出発するまで後1週間、
それまで最高の思い出を作ろうと言ってくれた。



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別れ話の時は泣かないと決めていた。
それまでにさんざん泣いたからだ。
また、泣いてしまうと自分の決心が
揺らいでしまう気がしたからだ。



彼と一緒にいる時は
なんとか泣かずに済んだが、
帰り道ではとめどなく涙があふれてきた。



今までさんざん泣いてきたのに、
別れ話を言う前と言った後では
まったく違った涙だった。



本当にこれでいいのか?
私が彼を好きなのはもちろんだが、
私をこれ程愛してくれる人は
今後現れるのだろうか?



「本当に後悔しない?」



家に帰る間、
その言葉がずっと
頭の中を駆け巡っていた。



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出発の日は初めて彼に声をかけ、
一緒にバーに行き、
付き合い始めた
12月27日
別れ話をして、
それまでの一週間は
ほぼ毎日会っていた。



悲しみが深くなる様な過去の話よりも
これからの未来の事をたくさん話した。



話しながらも何度も言いかけた



「やっぱり一緒にいる」



私がそう言えばきっと
彼は暖かく迎えてくれるだろう。
でも最後までこの言葉を
言う事は出来なかった。



「行かないで一緒にいてくれ」



そう言われるのを待っていたのかもしれない。
もし言われたなら私は
迷わず彼の胸に飛び込んでいただろう。



しかし彼がそう言わないのはわかっていた。
彼は何より私を尊重する。
それが彼の優しさだし、魅力だった。
でも優しさは時に残酷でもある。



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今日が最後のお別れの日
父と母はすでに出発ロビーに。



「元気で暮らすんだよ」



「リョウ君もね」



「何かあったら直ぐに戻ってくるんだよ」



「うん、でも挫けず頑張る」



「じゃあこれ、プレゼント」



「ありがとう開けてみても良い?」



「うん、開けてみて」



箱の中には私が好きな
真っ赤な大きい
マフラーが入っていた。



「ありがとう、一生大事にするね
私からもリョウ君にプレゼント」



「ありがとう、開けてもいいかな?」



「喜んでくれると良いけど」



私がプレゼントしたのは
ココマイスターの長財布、
ナポレオンカーフアレッジドウォレット
オリーブ色



私が初めてリョウ君に興味を持ったのが
長財布だったからプレゼントも
長財布と決めていた。



その中でも彼が一番欲しがっていたのが
この長財布だった。
きっと彼なら大切に使ってくれるだろう。
そんな気がしていた。



「覚えていてくれたんだ」



「もちろんだよ、
リョウ君の目がキラキラしてたもん」



「本当に有難う、サクラだと思って大切にするよ」



「もう時間だわ、飛行機に乗らなくちゃ」



最後の別れの時、
お互いに見つめ合った、
1秒1秒がゆっくり流れる感じがした。
過去の思い出が走馬灯の様に
頭の中を駆け巡る。



もう会えない。
もう声も聞けない。



絶対泣かないと決めていた、
でも自信はなかった。
思った通り涙をこらえる事は
出来なかった。



転勤する父が悪いわけではない、
当然彼は何も悪くない。
父について行くと決めた
私が悪いんだ。



そのせいで私自身が辛い思いをしている、
そしてそれ以上に彼に
辛い思いをさせている。



そう考えると涙が止まらなかった。



これからはお互い、
違う道を歩むけど、
一生懸命生きようね。
辛い事悲しい事があっても
きっと乗り越えようね。



「そしてきっと幸せになろうね」



声にはならなかった。
でも見つめ合う瞳の奥で
お互いに同じ事を思っていると
私には確信できていた。



「じゃあね、さようなら」



「さようなら」



二人はあふれる涙をふきもせず
静かに最後のキスをした。



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別れを決めてから私は何度も泣いた。
もう一生分の涙を流したと
思うほど泣いた。



それでも今でも涙が出てくる。



別れが辛いのは、愛していた証拠
深く悲しむのは、幸せだった証拠



心の中にこの言葉がこだまする。



今はとにかく泣こう。
でも飛行機がついたら
気持ちを切り替えて前を向こう。
きっと彼ならそう言うはず。



お互いに心で交わした約束を
守るために。




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