12月27日



私にとって、一生忘れられない日。

数多くある財布のコレクションの中から
箱に入ったナポレオンカーフアレッジドウォレットを取り出す。

この財布は一年の中で
この日にしか使わない財布である。

ナポレオンカーフは経年変化が早い、
それはそれで楽しみなのだが、
私の場合は過去の思い出が蘇る様に、
出来るだけ昔の形をキープしておきたいからだ。

そう、15年前の思い出を
いつまでも大切にしたいから・・・・・

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「何読んでるの?」

くりっとした瞳が印象的な
女の子が話しかけてきた。
同じ比較文化論の講義を受けている—-
確か、笹田サクラさん。
何度か話をした事があったが、
とにかく元気で明るく可愛らしい子だった。

「カクテルの本だよ、レシピも書いてあるし、
そのカクテルの歴史なんかも書かれているんだ」

「へ~渡辺君、カクテル好きなんだ~」

「お酒はあまり飲めないんだけど、
作るのが好きなんだ」

僕は高校生の頃から
バーテンダーになるのが夢だった。
色とりどりのお酒の種類、
そこから繰り出される様々なカクテル、
そしてその背景にある歴史と物語が
とても好きだった。

「じゃあ一緒にバーに行こうよ!
私行った事がないから行ってみたいな~」

急に誘われて戸惑いながらも、
屈託のない笑顔で言われると、
流石に断るのは難しい。

と言いつつも、
心のなかではバンザイをしてる自分がいる。

「じゃあいつだったら行ける?」

「こういう事は思い立ったが吉日、
今日連れて行ってくれない?」

「えっ!今日?ホントに?
僕はかまわないけど、、、、
じゃあ19時に駅のホームで待ち合わせで良い?」

良い事は突然やってくる。
今日ほどそれを実感した事はないだろう。
私は積極的に相手も誘うタイプでなないので、
彼女と友達になるのは難しいと思っていたが、
向こうから誘ってくれたのはホントに嬉しかった。

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待ち合わせ場所のベンチで
私はいつも愛読している小説、
「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいた。
サリンジャーの小説で世界中で
ベストセラーにもなっている有名な物語、
高校生から大人へと成長する過程の中での
主人公の微妙な心の葛藤が
自分に当てはまる部分も多く、
心地よかったからだ。

ふと目をやると、
鮮やかな赤が印象に残る、
大き目のマフラーをした彼女がやってきた。
雑踏の中でもひときわ目立ち、
冷えた夜空の中でも見ているだけで
温かみの感じる、そんなマフラーだった。
大学へ着てくる服とは違い、
大人びていてとても素敵だった。

「じゃあまずはご飯を食べに行こう、
オススメのお好み屋さんがあるんだけど
いいかな?」

「うん、いいよ~、お好み焼きって久しぶり!」

そうして私たちはお好み焼き屋へ行き、
とりとめのない話から子供の頃の事、
好きなミュージシャンや趣味の事など
いろんな話をした。

次に私のなじみのバーへと行った。

「へ~お洒落なバーだね。」

「ここのバーはね、僕が好きなカクテル
『ダイキリ』が一番美味しいバーなんだ」

「えっ!一番美味しいって、
カクテルってレシピが決まっているから
どこのバーでも同じじゃないの?」

「レシピが決まっているって言っても、
それはあくまでもお酒の種類だからね。
例えば、ビール1つ取ったって、
種類が沢山あるよね。
ダイキリに使われるラムも
いろんなメーカーから出てるから、
使うお酒によって味が変わるんだよ。」

「なるほどね、じゃあ私も『ダイキリ』にする」

そうして彼女はダイキリを口にした、
その時の唇はとても美しく、
まるで繊細なガラス細工を
見ている様な気持ちになる。

「うぁ~結構キツイね~、でも美味しい。」

「カクテルはアルコール度数が
高いものが多いんだ、
だからつい飲みすぎると、
後でとんでもない事になるから
気をつけてね」

「は~い、でも今日は渡辺君がいるから
大丈夫だね」

そうして私たちはカクテルを楽しみながら、
お互いの事を話し合った。
私は彼女の事を知れば知るほど
彼女の魅力に惹かれていった。

今まで私にはいわゆる「彼女」がいたことがない。
もちろんそれなりに好きな女性がいた事はいたが
告白する勇気もなく、
特に自分から「彼女」が欲しい
と思った事もなかった。

しかし今日だけは違った、
この時を逃したら僕は一生後悔する、
そんな感覚が体を駆け巡っていた。

当然お酒の力を借りなければ、
私はこの言葉を言う事は出来なかっただろう。



「付き合ってください」



彼女は一瞬驚いた顔をしていた。
しかしすぐに下に目をやり、
わずかな沈黙の後、
静かにうなずいてくれた。



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「海外に行く事にしたの」

突然彼女からの告白、
あまりに突然の事であたふためく自分、
一瞬頭の中が真っ白になった。

サクラと付き合い始めてから、
もう2年の月日が立っていた。
いわゆるごく普通のカップルで、
いろんな所へ遊びに行ったり、
ショッピングしたり、
喧嘩らしい事もなく、
周りからも羨ましがられるカップルだった。

来年の3月には卒業という時期で
僕は就職が決まっていたが、
サクラはまだ決まっていなかった。

そんな時、彼女の父が海外への赴任が決まり、
母親も一緒に行く為、
外国語の勉強も兼ねて、
一緒に行く事にしたようだ。

「でもすぐに帰ってくるんだよね?
そのまま海外でずっと暮らすわけじゃないよね?」

「・・・・・わからない」

「・・・・・」

「何年で戻ってくるかわからないし、
私達はまだ若いわ、これでお別れしましょ」

「そんな・・・・」

将来は結婚するつもりだったので、
思い切ってプロポーズするか、
そうも考えたがまだ学生で、
来年就職と言っても、
ちゃんと彼女が受け入れてくれるか不安で、
言い出す事が出来なかった。

「出発はいつなの?」

「12月27日」

二人が始めて待ち合わせした日もこの日だった。
二人でいられる時間は後1週間

「じゃああと1週間恋人でいてくれる?」

「もちろん」

そう言って彼女はニッコリ微笑んだ。

その後家へと帰る道、
涙が止めどなく溢れてきた。
胸が辛く苦しく、今まで経験した事がない程泣いた。

サクラとの思い出をいい思い出として、
心の中で整理出来る日が来るのだろうか?
今後こんなに一人の女性を
愛する事が出来るのだろうか?

別れなければいけないのか?
遠距離恋愛で続ける事は出来ないか?
何年でも待つ事は出来ないか?

そんな思いが頭をグルグルと駆け回る。

しかしサクラが言う様に、
僕たちはまだ若い。

彼女の事は諦めよう。
せめて残された1週間を精一杯楽しもう。
僕は自分にそう言い聞かせた。

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「元気で暮らすんだよ」

「渡辺くんもね」

「何かあったら直ぐに戻ってくるんだよ」

「うん、でも挫けず頑張る」

「じゃあこれ、プレゼント」

「ありがとう開けてみても良い?」

「うん、開けてみて」

僕が彼女にプレゼントしたのは、
彼女が一番好きなブランドの、
赤い大きなマフラー。

初めて彼女と待ち合わせした時に
1番印象に残っていたのがマフラーだった。

「ありがとう、一生大事にするね
私からも渡辺君にプレゼント」

「ありがとう、開けてもいいかな?」

「喜んでくれると良いけど」

赤いリボンを解いて箱を開けると、
ココマイスターの
ナポレオンカーフアレッジドウォレットだった。

以前ショッピングで自由が丘に行った時、
まるで日本じゃないみたいな感覚になる
雰囲気を持った皮革専門店に入った。

その時僕が一目で気に入った長財布が
ナポレオンカーフのアレッジドウォレットだった。

「覚えていてくれたんだ」

「もちろんだよ、
渡辺君の目がキラキラしてたもん」

「本当に有難う、サクラだと思って大切にするよ」

「もう時間だわ、飛行機に乗らなくちゃ」

彼女の声は震えていた、
ふと顔を見ると、涙が頬をつたっていた。

「元気でね」

僕の声も震えていた。
突然、今まで経験した事のない
寂しさが込み上げてきた。
ずっと彼女といたい
このまま手を取って走り去りたい。
そう言う衝動に駆られた。

しかし僕はそれを実行する事は出来なかった。

そんな自分が情けなかったり、悔しかったりした。

僕ももう涙が止まらない。

「じゃあね、さようなら」

「さようなら」

最後に二人は溢れる涙も拭かず、
最後のキスをした。

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それから彼女との連絡は一切なかった。
風の噂で日本に帰ってきたと聞いていたが、
今どこで何をやっているのかはわからない。

もう15年が経っているから彼女も結婚し
きっと子供もいて幸せに暮らしているだろう。
僕は未だに一人身だが。

彼女からもらった
ナポレオンカーフアレッジドウォレットを鞄に入れ、
街へと歩き出した。

かつての彼女との待ち合わせ場所。

12月27日は必ずあの待ち合わせ場所で
かつての思い出に浸っている。
もちろん『ライ麦畑でつかまえて』を読みながら。

今日は年末の割には気温が高く、
ベンチに座って本を読んでいても寒くない。




「何読んでるの?」




思わず僕は振り返った。



忘れもしない、あの時プレゼントした
真っ赤なマフラーをした女性が
そこに立っていた。